栗城史多 登山家 経歴 登山歴

21日の朝に登山家である栗城史多さんがエベレストの登山中に亡くなったというニュースが飛び込んできました。

 

彼はこれまで様々な障害に遭いながらもこれまでたくさんの功績を残してる日本でも有名な登山家でした。

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そんな優秀な登山家の栗城史多さんはなぜこのような事になってしまったのか。

 

現段階では詳しい情報がまだ入ってきていないので、なんとも言えませんがニュースによると体調が悪くなったので、途中で下山することになり、その道中に亡くなったという事らしいです。

 

栗城史多さんについて色々とまとめてみました。

経歴や登山歴について

名前:栗城史多(くりきのぶかず)
年齢:35歳
出身地:北海道瀬棚郡今金町
高校:北海道檜山北高等学校
大学:札幌国際大学
職業:登山家※一部「下山家」という悪く言う人もいるようです。
会社社長:株式会社たお代表取締役(個人事務所)

彼は登山家であるにもかかわらず、起業家として会社を設立しています。

●株式会社たお代表取締役

URL:http://kurikiyama.jp/

現在このサイトはアクセス数が多くて閲覧できないようです。

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彼は大学の山岳部に入部してから登山を始めてこれまで6大陸の最高峰を登っていて、最高で8000m級の4つの山を「無酸素」・「単独」で登頂に成功しています。

 

そして2009年からはこれまでの経験から、登山を目指す人たちに向けての情報発信活動として、「冒険の共有」のインターネットを使った「生中継登山」を始めています。

 

これまで登った山は数知れなくて、数々の困難にも遭っています。

 

彼にとって一番ダメージが大きかったのは、2012年の秋に挑戦したエベレスト登山のときでした。

 

エベレストの西稜で彼は「両手や両足、そして鼻」がこれまでにない重度の凍傷となってしまします。その時には彼の大事なパートナーとなる手の指9本」の大部分を失うことに。

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普通だったらここで諦めてしまうと思いますが、でも彼は違っていて、2014年7月にブロードピーク(標高8047m)に挑戦して見事に「無酸素」・「単独登頂」をやり遂げて、復帰を果たすことができたようです。

 

どんな状況でも決して諦めない精神は数多くいる登山愛好家や、これから登山家を目指す人たちへの目標としてしている人も沢山いるといいます。

 

以下は生前彼が執筆してきた書籍です。いくつか紹介します。

 

 

 

彼は山へ登るときには常に敬意と感謝の気持ちを持っていましたね。

それほど山を愛していたし、登れることそれ自体が喜びでも出会ったのでしょうね。

 

そしてこれは、MILLET(ミレー)が栗城史多さんと共同で作った「BEYOND THE SUMMIT」シリーズのパーカーです。

 

 

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その他沢山の功績がありますが、栗城史多さんがこれまでやってきた登山歴はこのようになっています。

  • 2004年6月
    ・マッキンリー6194m単独登頂 2005年1月
    ・アコンカグア6959m単独登頂(ポーランド氷河ルート)
  • 2005年6月
    ・エルブルース5642m単独登頂
    2005年10月
    ・キリマンジャロ5895m単独登頂
  • 2006年10月
    ・カルステンツ ピラミッド4884m単独登頂
  • 2007年5月
    ・チョ・オユー8201m単独・無酸素登頂
    ・7500m地点からスキー滑降
  • 2007年12月
    ・ビンソンマシフ4892m単独登頂
  • 2008年10月
    ・マナスル8163m単独・無酸素登頂
    ・山頂直下からスキー滑降
  • 2009年5月
    ・ダウラギリ8167m単独・無酸素登頂
    ・6500m地点から生中継に成功
    ・6500m地点からスキー滑降
  • 2009年9月
    ・エベレスト北側8848m(メスナールート7750m地点まで)
  • 2010年5月
    ・アンナプルナ8091m(7700m地点まで)
  • 2010年10月
    ・エベレスト南側8848m(7550m地点まで)
  • 2011年5月
    ・シシャパンマ南西壁8027m(7600m地点まで)
  • 2011年10月
    ・エベレスト8848m(サウスクロワールルート7800m地点まで)
  • 2012年6月
    ・シシャパンマ南西壁8027m(6500m付近から滑落したが生還)
  • 2012年10月
    ・エベレスト8848m(西陵ホーンバインクーロワール8070m地点まで。)
    「強風により両手、両足、鼻が重度の凍傷になり、両手9本の指を失う。 」
  • 2014年7月
    ・ブロードピーク8047単独・無酸素登頂
  • 2015年10月
    ・エベレスト8848m(エベレスト8150m地点まで)
    「※ネパール大震災により北側(中国側)登山からネパール側に計画を変更。」
  • 2016年10月
    ・エベレスト8848m(エベレスト7400m地点まで)

なぜ彼が「下山家」と言われているのかというと、幾度となくエベレストを目指しているのに一度も達成したことがないので、この事を揶揄して言っている人がいるようです。

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こういう事を言う人は、一度同じ体験をしてみればいいと思います。実際登頂をすることがどれだけ苦しいのか、分かるでしょう

逝去したのは高山病の酸素不足や低体温症が原因?

 ニュースの内容では低体温による体調不良が原因で動けなくなってしまったのか。

 

という感じらしいのですが、詳しい事はまだ発表されていませんね。

 

彼の事務所のスタッフの、メッセージも掲載してありました。

栗城事務所の小林と申します。

このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、
エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました。

下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、
暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから
キャンプ2近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、
先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました。

生きて帰ることを誓っておりましたのに、
このような結果になり大変申し訳ございません。

生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、
最後に執着してしまったのかもしれません。

皆様へのご報告が遅くなりなりましたこと、
心よりお詫び申し上げます。

何m地点で発見されたかなど
これ以上の詳細が日本でわからず大変恐縮ですが、
またわかり次第お知らせ申し上げます。

これまで栗城を応援していただき、本当にありがとうございました。

栗城事務所  小林幸子

彼は「無酸素・単独登頂」で上ることに挑戦していたんですが、もしかしたら酸素不足による高山病で体調不良を起こし、それが低体温状態になってしまって、このような事態になってしまったことも考えられます。

 

山の天気は変わりやすいという事と、そこでの登山は豊富な経験があってもやはり危険ですよね。ちょっとした体の異変がここでは大きな事故になりうることにもなってしまうので。

 

しかし、彼の事務所のスタッフが「小林幸子」となっていますが、まさかあの小林幸子さんの事なんでしょうか。

 

もしそうなら彼女も悲しんでいるでしょうね。

というより小林幸子さんはこのような事もやっていたんですね。

栗城事務所はどうなるの?

会社代表の栗城史多さんがいなくなってしまったので、今後この会社はどうなってしまうんでしょうか。

 

当分は所属するスタッフがいれば、今後の対応について考えていくと思うんですが、このまま継続するのかそれとも畳んでしまうのか。

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これからたくさんの登山家や応援する人たちがいるし、出てくるでしょうから、父さんだけは避けてほしいところです。

栗城史多さんのブログの内容

栗城史多さんは登山中に逐一その状況を動画やブログに綴って公開していました。

 

その最後となったブログの内容がこれです。

下山します

2018/5/21 10:01

(栗城中継班より)
栗城は体調が悪く、7400m地点から下山することになりました。

今後の行動は未定で、栗城が無事に下山して状況がわかり次第、お知らせいたします。

皆様からの応援、本当にありがとうございます。

その前の2018年5月20日23時36分にはエベレストの7400mのところまで登っていて。その時の動画を公開していました。

この時は晴れ晴れした天気だったみたいですね。

キャンプ3より無線中継しているところのようです。

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2018年5月19日20時48分ではキャンプ2にビバークしているようです。

若干体調不良から回復したようなので、一旦休んでから出発するようでした。

2018年5月18日22時18分にベースキャンプ2から出発する時の様子です。

この時にすでに栗城史多さんの体調に風邪のような異変があったようですね。

 

栗城史多さんは登ってる最中にも動画を取ったりしてまだ元気だったのに、突然このような事になってしまって本当に残念です。

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