5月6日に行われた日大との定期戦で悪質タックルを受けて負傷してしまった関学大のクオーターバックの奥野耕世選手が約3週間の療養生活を経て、ようやく復帰して試合に出られるまでに回復しました。
3週間の間はケガを直す為に一切練習できなかったのに、復帰後は試合出場し、38ヤードのTDパスを通すなどして活躍したそうです。
そして奥野耕世選手は、悪質タックルをした宮川選手に対して「また同じステージに立って、今度は正々堂々と試合をしよう!」と励ましてくれたそうです。
悪質タックルを食らいながらも相手選手を思いやる気持ちがあったりして、奥野耕世選手の人柄がうかがえますね。
今回は奥野耕世選手の経歴・学歴や性格、そして彼の父親の職業についてまとめてみました。
もくじ
奥野耕世さんの経歴・学歴と現在の顔画像など
まずは関学大アメフト部の司令塔の奥野耕世さんの経歴や学歴、顔画像などを紹介しますね。
名前:奥野耕世(おくのこうせい)
生年月日:1998年6月20日
出身:大阪・池田市
年齢:19歳
身長:170センチ
体重:71kg
大学:関西学院大学(2年生)
学部:商学部
役割・ポジション:QB(クオーターバック)背番号は3
彼は現在、関西学院大学の2年生で関学大で大いに活躍ているアメフト部の優秀な選手ですが、高校も関学大系列の「関西学院高校」に通っていました。
この高校の部活も関学大と同じアメフト部があるので、彼は高校から大学まで好きなアメフトができる高校・大学を選んだのかもしれませんね。
ちなみにこの高校のアメリカンフットボール部は過去にたくさんの優勝経験がある高校で、過去に18回も全国大会優勝した経緯があります。相当な強豪校なんですね。
例えば、2014年に全国大会優勝、そして次の年の2015年にも全国大会優勝を果たし、そのまた翌年の2016年にも全国大会を準優勝したりと毎年毎年連続優勝しています。
アメフトが好きな人は絶対入りたい!って思いますよね。さらにこの高校は偏差値も結構高くて、平均で「67」もあります。
スポーツも強いし、偏差値も高いのでとても優秀な生徒さんが出ているでしょうね。
そして中学校は「池田市立北豊島中学校」に通っていたようです。
ここの学校はクラブ活動にアメフト部がなかったので、この時はどんなクラブに入っていたんでしょうかね。
一応この中学には
- 男子バスケットボール
- 男子バレーボール
- ソフトボール部
- 男子テニス
- 陸上部
- 剣道
- 野球
- サッカー
- 水泳
などがありました。彼が入るとすればまあ「剣道」とか「陸上部」とかでしょうかね。
奥野耕世さんの現在の顔画像は?
関学大のページにには、おそらく大学に入ったばかりだろうと思われる顔写真が載せてありましたが、現在もそれほど変わっていないだろうと思います。
なんせ、入学してからまだ1年しかたっていないので^^
彼の顔画像がこちら。
奥野耕世さんが負傷した場所はどこ?
関学大の奥野耕世さんは背中丸出しの無防備な状態から、日大の宮川泰介選手からいきなり弾丸のように突っ込まれて、逆九の字のように折れ曲がって倒されました。
宮川選手に突っ込まれて地面に倒れる瞬間に、捻りを加えられて倒されているんです。
この悪質タックルを受けたせいで彼は危うく今後の生活にも支障をきたしてしまうんではないか、というぐらいの重大事故になりうる寸前のケガを負っていました。
その個所というのが「腰の靱帯損傷」だったんです。
腰は身体全体を支える要の大切な器官です。ここが損傷してしまうと、脳からの神経系統が満足に行き渡らなくなり、手足のしびれや、原因不明の前身の痛み。
そして最も最悪なのが半身不随で今後の生活にも影響をきたしてしまうぐらいの影響が出てきてしまいます。
幸い彼は、「腰の靱帯断裂」ではなくてあくまで「腰の靱帯損傷」の方だったので、不幸中の幸いだったわけですね。
奥野耕世さんの怪我の具合は?
病院に入院してから約3週間の療養生活を行ったおかげで、彼はようやく現場復帰することが出来たようです。
昨日の27日に彼の復帰戦とも呼べる試合に出場して、約3週間も療養生活していたとは到底思えないような大活躍を見せたようです。
でもさすがに病み上がりという事で、奥野耕世さんはけがの程度など心配はやっぱりあったそうです。
でもいざ試合に出てみると、そんなことは関係なしに普段通りに落ち着いてプレーを楽しんだようですね。あれから彼のチームメイトもさぞ喜んだだでしょうね!
彼の現在の後遺症についてははっきりとはわかっていませんが、実は数日前から少しずつアメフトの練習を始めていたそうです。
21日の時はまだ膝にしびれなどの後遺症が残っている状態だったらしいのですが、アメフトの練習を始めたのが27日より数日前という事なので、リハビリを兼ねての練習だったんじゃないかと思います。
でも昨日の27日には3週間ぶりに正式に試合出場して、ケガの不安はあったけど思いっきりプレーをやれたと言ってるので、下怪我はもうほぼほぼ回復してたんじゃないかと思います。
奥野康俊さんの今後の職業は?
奥野康俊さんの現在の職業は大阪市議会委員(維新の会)なんですが、今回の問題によって「次の議員候補に立候補しない」と表明しました。
度重なる日大の不誠実な態度と、生徒を守るどころか自分たちの身を守ることに必死な日大の指導陣や経営陣に対して更なる憤りを持ち始めたからですね。
日大の誠意の全くないあの記者会見を見た奥野康俊さんはこんなコメントを出していました。
「指導者2人に対して、体の震えが止まりません。
市議会維新代表にも伝えておりますが、
私の記者会見前に決断していたことですが、
今期の任期満了をもって大阪市議会議員にピリオドをうち、
次の選挙では立候補いたしません!
残りの人生をかけ真剣にとことん
この問題に向きあう覚悟です」と。
日大の内田正人監督井上奨コーチのは真実をひた隠しにしてしまい、一向に体質を改善しようとしない態度。
そしてそのバックである日大の組織そのものの在り方について、なんだか政治的な体質にとてもに似ていると感じて、こういう組織と徹底的に争い、キレイに根こそぎ掃除してしまおう、ということも同時に考えてるのかもしれません。
奥野康俊さんは、今季限りで大阪市議会委員(維新の会)を辞めて、今後は日大と戦うために一生を捧げえると宣言しているんですが、そうしたら彼のこれからの職業はどんな感じになるんでしょうかね。
さすがに、無職(プータロー)じゃまずかと思うんですが、でも市議会議員になってる奥野康俊さんだったら金も相当貰ってるだろうから、当分の間は生活できるぐらいの蓄えはあるかもしれませんね。
仮にそれで生活していたとしてもさすがにいつかは蓄えがなくなるので、プータローになるとは思えないですねw
となると、土日祝の休みが定期的にある普通の会社員としてサラリーマンをやりながら、日大と向き合う日々を送るんじゃないかと思います。
こっちの方が現実的ですね。
でも、もしかしたらどこかの大学の職員として入って問題の解決を図る戦略も考えているのかもしれません。
まとめ
奥野康俊さんの経歴や学歴、そして彼の父親の奥野康俊さんの今後の職業はどうなるのか、という事を予想を交えながら書いてみました。
としあえず奥野康俊さんは大きなけがを負ったものの、大事には至らなくて良かったですね。
宮川 泰介選手も心底ホットしたんじゃないでしょうか。
取り敢えずは無事に試合に復帰できてよかったです。
今後は少しずつリハビリ的な事を兼ねながらの試合に挑むと思うので徐々に完全回復になっていくでしょう。
そして彼の父親は、これからもずっと日大の闇について深く切り込んでいくんでしょうね。
奥野康俊さんには日大にこびり付いた垢を徹底的に剥がし取ってもらいたいですね。